のたり、ゆくら

そぞろ歩きとビンテージカメラ。ローライやバルナックライカなど、昔のフィルムカメラでゆるく撮った写真の記録です。

灯台[ベビーローライ]

昔から、灯台に何とも言えない魅力を感じている。陸の端、断崖の上とかにあって航海中の船に暗礁などの位置を知らせるという、目立たないながらも大切な役割。灯台という漢字と呼び名(英語のlighthouse を翻訳したということだろうけど、例えば『照台』のような漢字にならなくてよかったと思う)。そしてあのたたずまい。

これは、ベビーローライを持って三浦半島に行ったときの写真。上が剣崎灯台、下が城ヶ島灯台(ちょっと光線かぶり)。

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どちらも、元々は明治になってすぐに建造されたものが関東大震災で被害を受け、1925年に再建されたのが今に残るものだという。もうすぐ100歳。

驚いたのが、どちらの灯台も1991年に無人化、と書いてあったこと。つまり、それまではいわゆる灯台守の人が住んでいたということか。さらに調べてみると、日本国内で最後まで灯台守の人がいたのは長崎県男女群島にある女島灯台で、2006年まで有人灯台だったそう。

『イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑』という本に、紙芝居屋やポン菓子屋などとともに「灯台職員(灯台守)」も出ている。それによると、最盛期の昭和28年には全国に1100人の灯台職員がいたのだそう。説明文の中には

灯台職員は日本各地の灯台を点々とし勤務する。海の守人としての使命を感じながらも一灯台に一人もしくは数名で勤務する孤独な仕事であり、生活は寂しくてやりきれない思いにとらわれることもあった。

という箇所があり、その大変さが感じられる。

無人化された今でも灯台に惹かれるのは、そうしたいろいろな人の苦労や思いが染みついた場所だから、という面もあるのかもしれない。