のたり、ゆくら

そぞろ歩きとビンテージカメラ。ローライやバルナックライカなど、昔のフィルムカメラでゆるく撮った写真の記録です。

ごあいさつ

部屋の荷物が知らずのうちに増えてきたので、この夏、数年ぶりの大整理をしました。いるもの・いらないものを仕分けていくうちに、カメラを入れている保管ケースが目の前に。そこで、う~んと考えこむことになりました。

 

腕前はいつまでたっても上達しませんが、十数年前から気ままに昔のフィルムカメラを使っています。絞りやピントを自分で合わせる機械式のカメラです。でもこの2, 3年ほどは、出番が減ってきていました。フィルム代は10年前を知る者にとっては信じられないほど高くなっていますし、普段写真を撮るだけならスマホで、海などに行って遊ぶ時には防水機能がついたコンパクトデジカメでといったように、大体の場合はデジタル写真で事足りるからです。

 

部屋を整理するタイミングで、いっそフィルムカメラを手放してしまおうか…。

 

でも、そうはできませんでした。ローライやバルナックライカなど、60年とか70年前に作られたカメラを取り出して触れていると、デジカメからは受けることのないしっかりした質感(重さというのとはまた違います)や、電子機器ではない機械式カメラを操作する楽しさ、そしてデザインの良さが、視覚・触覚・聴覚(軽快なシャッター音)などを通してびんびん伝わってくるのです。実用性だけを考えてこれらを売ったりしてはいけない、と感じました。そして、「記録としての写真やくっきり・はっきりした写真は、スマホやデジカメに任せればいい。フィルムカメラは、ただの記録のために使うのではなく、自分で機械を操作してフルマニュアルで写真を撮り、現像の期間を待ち(いずれ自家現像もやってみたいとは思っていますが、いつになることやら)、仕上がったネガやプリントを見るという、一連の流れを楽しもう」と決めました。

 

そこから再び、散歩や山歩きなどに行くときにフィルムカメラを持って出かけるようになりました。フィルム代が高騰する中、あまり気前よく写真を撮ることもできません。でも、だからこそ1回ずつのシャッターに思いを込めるようになります。そして、これまで以上にフィルムカメラを使うことに喜びを感じるようになってきました。

 

これからフィルムがどこまで値上がりしていくのか、現像を行ってくれる店やカメラの修理・オーバーホールを行ってくれる店は存在し続けてくれるのか。いろんなところでデジタル化が進み、「DX(デジタル・トランスフォーメーション)」なんていう、カメラの機種名かと思うようなバズワードまで生まれる中、フィルムカメラを取り巻く状況はさらに厳しくなっていくのかもしれません。でも、自分にできる限り、付き合い続けていきたいと思います。昔のカメラとのそんな日々を、「のたり、ゆくら」(のったり、ゆっくり)と記していきます。